帰る場所

こんにちは、yuです。
高校時代所属していた合唱班の定期演奏会へ行きました。OG5年という恐ろしい響きをかみしめながら。





大学も部活で土日が埋まっていたから、3年ぶり。*1現役の後輩どころかOB・OGの子の名前すらわからない私は、地元に残っている同期が楽しげに話しているのを横目に*2、「潮時かな」なんて思ったりしていた。私はいつの間にか、「よく知らないOGさん」になってしまっていた。悲しい。

もう、私ができることは、観てあげることと宣伝すること、そしてわずかながらのお金をあげること、それぐらいしかないんだ。

そんなことを考えている間に、開演のブザーが鳴る。


校歌で始まる。
昔より高校生らしい演奏になったな*3、と寂しさを覚えた。いや、もしかしたら私が高校生から離れすぎた証拠なのかもしれない。
今、彼ら彼女らがしている合唱は、思春期の苦さと天真爛漫さの混じったアンバランスな合唱は、一瞬のもの。 5年しか経っていないけど、私にあの声は出せない、あんな歌い方はもうできない。そんなこと、知らずに彼らは歌う。
あぁ、泣きそう。その刹那のせいなのか、自分の老いを実感したせいなのかはわからないが。



相変わらず、課題曲が苦手だなぁ、あんな難しい自由曲、うらやましい!

自分たちが最後に歌った組曲。この曲、大好きだった。先生、今年で最後なんだっけ。あぁ、あそこはこんな風に歌ってたな、そうそう、そのタイミング。懐かしいね。



最後の企画ステージ。あ、私たちが5年前に作った宝箱、まだ残ってる!この演出、私たちにはできなかっただろうな、やられたな。

自分たちが中心になって作ったステージのことはどうしても前のめりになって見てしまった。*4
あの班室での喧嘩もくだらない笑いも、リハの険しさも、自分たちの作ったものが形になった瞬間も、昨日のことのように鮮明に、蘇る。目一杯の映像が、走馬灯のようになだれ込んでくる。

そして、あの時ずっと唱えていた言葉を思い出す。

「これで最後」


絶対に後悔したくなかったから、忘れたくなかったから、ずっとずっと、「最後」だと言い聞かせながら懸命に、音を、客席の景色を、仲間の顔を、焼けつけていた。

彼女たちの表情が最上級に眩しくて切ないのは、その、最後にかける気持ちが溢れているからだ。
もう、そう思ったら自分の過去も、今の3年生の気持ちも、感動も、全てごちゃまぜになって、込み上げてきた。ボロボロと涙を流した。



あぁ、これは、これからずっと、私が誰だかわからなくなる瞬間まで、見に行かなければならないものなんだと、その時思った。思ったというより、わかった。
高校生の輝きを知るために、あの時の私を忘れないために、自分を戒めるために。今の自分を知るために。

日曜日に仕事が入ることもあるかもしれないし、誰かの結婚式があるかもしれない。私も子供を育てるかもかもしれないし、誰かのお葬式とかぶるかもしれない。

それでも、毎年あの演奏会に想いを馳せ、3年に1度、それが無理なら5年に1度、涙を流しに行くんだ。



先生が変わろうと、何十年経とうと、私の声が出なくなろうと、ここは私が帰る場所だ。

*1:よく考えたら、ずっと忙しい部活に居続ける物好きだな。

*2:もちろん人望の差もあるのだろうけど

*3:私のいた頃は、深い声・考えている合唱、悪く言えば暗く高校生らしからぬ合唱、というのが私たちに対する評価であった

*4:全員が演奏会のための役割を持っていましたが、私はこのステージを作る係でした