女装男子とデートした話




改札から出てきた彼は、普通に女の子でした。着ているものを知らなければ、見落としてしまっていた。


肩幅が気になるからダイエットしていると言っていたけれど、その服は彼女にぴったりあっていて、何も違和感がない。
滑らかな肌と、きれいな目。

うっすら透けている青ひげと服から伸びている手の骨だけが、"彼女"ではないことを証明している(最近ひげ脱毛に通い始めたらしい)。


「女装は趣味」で、中身は男。声も低い。
なのに、話していると不思議な感覚になる。
彼自身がきっと穏やかで優しい性格なのだろうけど、男の人といるとき特有の空気のかたさがない。緊張させない。

服やメイクが、知らないうちに彼を女らしくさせているのだろうか。


1番おどろいたことは、私も行動が変わったこと。私はいつも、男の人に対して一歩ひいて歩く。でも彼とは、本当に横並びになって歩いたのだ。
サラダもとりわけなかった。「女が取り分けるべきだ」とまでは思わないけれども、ごはんをきれいに取り分けることができる女の人
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に憧れている。だから、ちょっとでもよそ行き顔のときは率先してトングを取る。
でも、昨日は彼が全部やってくれた。「私がやるべきなのに」と言うこともなく、ただ「ありがとう」と言って、彼が切り分けたとんぺい焼きを受けとった。

なんとなく、相手に任せて男をたてようだとかだとか、女がする仕事だとか、奢ってもらいたいとか、そんな考えが私の中にもあるのだろう。
家事をしない男は嫌だとか、子育ては平等にするものだとか思っているわりに。


一歩ひいて歩くのは、後ろを気にして歩くのが苦手だからで、
サラダを取り分けるのは、ご飯をきれいに取り分けられる
に憧れるからで、
ごはんを作るのは、料理が好きで洗い物が嫌いだからだったはずなのに。
いつのまにか、それが「男のための」「女らしくいるための」ものになってしまっていただなんて。


男なのに、女のくせにという考えを完全に消し去れることなんてあるのだろうか?
そもそも身体も中味も生まれた時から違うじゃないか。
でも、「女」という言葉に縛られるのはイヤだ。
もし男もメイクできて、スカートをはくことが許される世界なのであれば、彼は「女装」をやめるのだろうか?

ただただ、頭の中でグルグルと結論のない言葉がまわる。



私が、ただの「私」でいることはとても難しいらしい。
「男らしさ」って、「女らしさ」って、「自分らしさ」って、何?