時間が止まったまま


玄関のドアを開けて、「ただいま!」と声をかける。




そうだった。ソラはもういないんだった。


玄関を開けて耳をすませてしまうとき、
畳の部屋の戸を閉めてしまうとき、
床に荷物を置きかけて慌てて持ち上げるとき、
呆然とする。

もう、私に駆け寄ってくる彼はいない。
彼が入ってこないように戸を閉める必要もない。
彼が洗濯カゴから靴下を取っていくことももうない。

私の中に彼はまだ住み続けている。



ソラは、私が2回生の時に亡くなった。
実家を出て彼のいない家で暮らすことに慣れていたから、お葬式が終わって京都の家に帰ってくると、そこにあった日常はいとも簡単に取り戻すことができた。
火葬する直前まで私は泣き続けていたはずなのに、京都に帰ってしばらくするとまた、彼のことは何も考えず部活に明け暮れる日々に戻った。
京都にいる間、1年生のときも、あれより後も、私は同じようにソラを思い出さない。


3年近く経って、きっと、私の両親も、家にソラのいない生活が当たり前になっているはずだ。



それなのに、私の中では、ソラはまだ長野の家に住み続けている。
実家に帰ると、その事実に打ちのめされる。



あと何回帰省したら、天国に送れるんだろうか。